ヒトコト図書館掲示板

髙橋キヌ、28歳独身。月に読む本は150冊以上、本代は常に10万円。ページのあいだに棲んでいます。

女の子よ銃を取れ

 

 

instagramのほうには投稿したのですがhttps://www.instagram.com/p/BPWaeI4gn-_/

雨宮まみ先生が亡くなったと昨日知りました。美しくてどこか切なくて、でもとびきり優しい。そんな文章が大好きでした。ご冥福をお祈りします。#today #diary #love #rip🙏 #雨宮まみ

 

雨宮まみ先生が亡くなりました。

本ももちろんだけど、いくつかあるweb連載も楽しみにしてたので「あれ、なんで更新ないんだろう」と思っていました。テレビ観ないとこれだからなー 

 

今日は雨宮まみ先生の本の中から、こちらをご紹介します。

女の子よ銃を取れ

女の子よ銃を取れ

 

昨日オシャレ関係の本をご紹介したので、その関連ということで。

内容はこんな感じ。

顔、スタイル、ファッションをめぐり、他人の視線と自意識の間でゆれ動くこじらせ女子の心をやさしくときほぐすエッセイ集。「ウェブ平凡」大人気連載の単行本化。

 

雨宮先生は画像検索でもしていただくと分かる通り、とっても雰囲気のあるアジアンビューティなので、この本を読んだときは雨宮先生にそんなコンプレックスが…と震えました。 

私は、「大嫌いな自分自身」から、ただひたすら、全力で逃げ出したかったのです。自分が嫌いで嫌いでたまらないから、自分からもっとも遠い「美しい別人」の姿に激しく憧れました。

極端に言えば、自分ではない美しい人になれるのなら、誰でも良かったのだと思います。

美人ではない人間がお洒落をすれば「ブスのくせに調子に乗って」と笑われ、お洒落をしなけらば「ブスのくせに努力をする気もないのか」とあきれられる。こんな、どこにも逃げ場のない状況で前向きになんかなれないし、自分がどういう方向に変わりたいのかもよくわからなくなっていました。
そんな高校生がスーパーモデルに憧れるのは、小さな男の子が仮面ライダーなどのスーパーヒーローに憧れる気持ちと、ほとんど同じでした。「変身できれば、なにかが変わる」と、そんなことは絶対に起こらないのに、その可能性を信じたかったのです。 

それ以前の私にとって「装う」ということは、自分を飾り付けることであり、すきな服に自分自身をあてはめ、合わせていくことでした。好きな服に身を包んでいると、自分自身も「好き」になれるような気がしたのです。

劣等感のカタマリだった中高生の自分に読ませてあげたいわーたぶん読んだら泣くんだろうな。

 

もちろん劣等感に苛まれていなくても、「美しさ」という冷たい物差しをあてがわれたことのある女子なら、泣きながら線を引きたくなるヒトコトがいっぱいです。

「女は美しくあるべきだ」という呪いのような圧力を、私もまたこの社会に生きている以上、受けながら暮らしています。世間から「美しい」と認知されるために、どのような努力が必要か、どのような方向の「美しさ」を求めればよいのかも、少しは知っています。半径10メートルぐらいの世界で「美しくあるべく努力をしている、見苦しくない人」として評価を受けたいならどうすればよいか、私はたぶん知っています。 

「美しくなりたい」と思う気持ちは、私の中では「自由になりたい」と、同義です。社会の圧力から、常識から、偏見から、自分の中の劣等感から、思い込みから。自由になりたい。いつでもどこでも、これが自分自身だと、全身でそう言いたい。「美しくなりたい」とは、私にとってはそういう気持ちです。

 

女に生まれたことを後悔したことはないのですが、なんで「(他者から見た)美しさ」っていう余計な項目があるんだよ、とは思います。

しかも昔は周囲に迎合しようと必死だったので、未だに「努力すればもっと美しくなるのに…」っていう非常におせっかいな感情が沸き上がる瞬間があるっていうね。もっとって普段を知っているわけでもないのになんなんでしょうねほんとにね。

 

この本は、外圧に負けそうになっている女子へのあたたかなエールで満ちています。

心に「こうなりたい」という姿があるのなら、こんな周りの、くだらない、ただの嫉妬でしかない圧力に負けて、自分の気持ちを抑えつけないでほしいのです。その圧力は一生ついてまわります。どこへ行っても、なにをしても。自分からはねのけ、断ち切る勇気を持たない限り、どのような容姿であろうと、なにか余計なことを言われ続けるのです。

 

終始一貫して書かれている、「もっと素敵な誰か」ではなくて「押し込めていた自分」に戻ろう という雨宮先生の心からの叫びが、胸に、しみました。

自分以外の誰にもなれないということを受け入れない限り、「自分が嫌いだ」「自分以外の誰かになりたい」という気持ちにつけこまれ、さあ、もっと金を遣えと脅迫され続けることになります。
自信がなくても、自分が好きでなくでもかまいません。ただひとつだけ、「自分は自分にしかなれない」ということを受け入れ、自分以外の誰かになることを、きっぱりと諦めてください。 

自分ではないなにかを装って、自分ではない誰かの影のようなものに好意や喜びを向けられるのは、決して楽しいことではないのです。そんなことをすれば、自分ではない「本物の誰か」の存在に、常に怯えて暮らさなければならなくなります。

 

装いによって、あなたは何者にでもなれる。そして、なによりも「なりたい自分」になれるはずなのです。

 

 

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とりあえず、クロゼットを整理してみようかな…という方には、これらのヒトコトをプレゼントします。

「夢と理想の残骸」「こう見られたい自分の仮面」「習慣の遺物」

「これを着なきゃいけない」「着るために、合わせるものを買わなきゃいけない」「着るためにやせなきゃいけない」……。そういう服を全部、処分する側によけてしまうと、すごい開放感がありました。
私のクローゼットの大部分を占めていたのは「義務感」だったのです。

クローゼットを見直す、と言うのは、実は「処分すべき服」を選ぶことではなく、過去の服の山の中から、現在の自分のための服を「選び取る」作業です。

服を捨てても、経験やセンスはなくなりません。憧れも夢も消えません。自分自身は、そんなことで消えてなくなったりしないのです。

 

捨てるときの罪悪感ってハンパないもんね。

友人に数年ごとに服のテイストが変わっていままでの服&アクセぜんとっかえっていう子がいるので、そのへんの罪悪感をどう御しているのか今度聞いてみようと思います。

 

雨宮先生は本がお好きだったので、著書の中でもたくさん本をご紹介されています。この2冊はこの本で最初に知りました。

librarian-kinu.hatenablog.com 

librarian-kinu.hatenablog.com

 

これも読んでみたいな。