ヒトコト図書館掲示板

髙橋キヌ、29歳独身。月に読む本は150冊以上、本代は常に10万円。ページのあいだに棲んでいます。

何がいいかなんて終わってみないとわかりません。

なんだか気分が上がらないときも、本は読んでいます。
本はもはや精神安定剤的存在。キヌです。 

今日はこちらの本をご紹介します。

何がいいかなんて終わってみないとわかりません。

何がいいかなんて終わってみないとわかりません。

 

内容はこんな感じ。

現在11個のパソコンやタブレットを使いこなす、81歳のコンピューターおばあちゃんことミゾイキクコさん。
2010年よりユーザー名@kikutomatuで始めたTwitterで、1940年代から現在までの人々の価値観の変換、 戦争中の経験、敗戦後の暮らし、高齢者問題、男と女の話などについて呟いています。
含蓄に富んだツイートが老若男女の共感を呼び、2015年12月現在、フォロワー数56,000人を超えました。
本書は、2010年〜2015年12月までのTwitterの呟きを抜粋し、加筆・修正したものです。

この本は発売当初(2015年年末)に読んで読書ノートに記録していました。
当時選んだ言葉を眺めていると、このときは「早く自立しなきゃ」と焦ってたんだなってわかります笑

自分の人生、他人をあてにして完結しようとしても無理です。

自分のしたことは自分に返る、それは当たり前のことなのだ。その人が生きたように死んでいくのだ。

若いうちにできるだけ多くの経験をしておくことが大事ですね。それらがいろいろなことに役立ちます。新たに始めることの土台になります。土台が大きければまた新たに始めることの役に立ちます。ますます土台が大きくなります。そういったことが、その人を魅力的に見せるのだと、私は思います。 

だいたい自立した人は、他人(自分以外の人)に干渉しません。自立できていない人がうるさいのです。自分は自分という認識の人は、他人は他人と思えるのです。 

あれこれ人を選ぶ人、自分も選ばれていることを知らない。

人をせせら笑う人、自分を上等な人間と思っている。上等な人は人をせせら笑わない。

だいたい差別する人には弱虫が多いですよね。差別することで自分を維持しているような人もいます。強い人は人を理解し、思いやれて、人にも優しくできる。周りを見るとそんなものですね。 

若い時は周りの人にいろいろと注文をつけたがりますが、それって自己中心的なんですよ。相手を自分と同じにしたい、同じでなければ認められない的な。でも年とともに気がつきます。相手もそうなんだ、だったら認め合うしかないんだと。そうすることで人を理解できるのだと。

自分と生き方の違う人に反感を持っても何にもならない。自分を狭くしてしまうだけ。

自分はそれとは違うという上から目線。

このヒトコトなんて、小さいころ思っていたまんまでした。 

人は強くなくては優しくなれませんね。それが子供の頃からの私の念願でした。辛い人に優しくあるためには自分に力がなくてはと。

キヌはもっと飛躍して「力がない自分には価値がない」とまで思っていたのですが笑
どうやら「わかりやすい価値なんてなくてもいいんだ」と思えるようになったのは最近のことみたいです。
どんなコンディションでもは読めるのですが、捉え方にはかなり差が出てきます。

今、そうだなと思うのはこんな感じ。

人にはそれぞれその人に合った生き方があるのですから。どれが良くてどれが悪いではなく、それぞれに合った生き方で十分自分を活かすことが良いはずです。

自分をよく見つめてしっかりとした自分をつかんでいれば、それに共振する人がいるはずです。 

何事も継続してみないとわからない。少しやってこんなものかとわかったつもりになる人は、少しもわからないようなもの。 

何事も自信ができてからやるものではないんですよ。やってるうちに自信が持てるもの。 

人との関わりは、細かいことは考えない方がいいですよ。今嫌と思うことが良いことに通じていたりしますから。何が良かったかなんて、最後までわからないもの。

幸せなんて、当たり前の日常を送ることなんですよね。

幸せなんて普通わからないようなものなんですよ。無くなってからわかるようなね。当たり前になってしまうこと。それはすごく幸せなことなのです。 

極論こういうことですよね。

何がいいかなんて一生が終わってみないことにはわかりません。

さて、明日もこの世界で一生懸命もがきますか。 

 

 

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本文で紹介しそびれましたが、恋愛に関する項目もたくさんありました。

私が嫌いなセリフ。「私は尽くすタイプ」「ずっと尽くしてきた」。こんなことを言うのは何なのだ。支え合い補い合って生きる二人(男女)が尽くし合うのは当たり前。ことさらにそれを言われると吐き気がする。

誰のおかげで食べられるんだ、なんて言う男は配偶者を決して愛していませんよ。いてくれるだけで働く張り合いがあると言うのが、女を愛する男。

自分たち夫婦を中心に考えないで、親を第一に考える男はダメですね。親しか考えられないなら、一人でそうすればいい。そして寂しく死んでゆけと思う。

心が顔に出て、信頼できる顔、できない顔になる。自分の顔に責任感が滲む。そういう男がいい男。 

男って、ダメなのは本当に社会に有毒。 

相手の人生を背負うかどうか、その重みを嫌う人は、結婚相手には不向きです。

自分だけ理想の人を望んでも、自分がどういう人か考えなくては話になりません。自分との比較で考えなくてはダメ。自分を棚に上げて、夫だけ採点していては。自分が最高と思うような男は、自分を選ばなかろうと考えなくては。

自分をよく知れば、自分に合わない人に共鳴しないものです。

人って自分が嫌いなタイプの人には違和感を持つ。相手にもそれが伝わる。自分が嫌だと思う人は、向こうもこちらを嫌っているものです。それからすれば、自分がどういう人を嫌い、どういう人は好くかという意識のない人が、とんでもない人とかかわることになるのではと思う。

相手をよく知らなかったから好きだったということはよくあること。好きだから乗り越えられるのではなく、信頼があるから乗り越えられるのです。

結婚することをゴールインなんて言葉を使うのはおかしい。ここから二人に人生が始まるのですから。

そして、ざわざわする言葉も。
心がとてもざわざわする、自分的には「異物」である物事を心の片隅に留めておけるようになること。
これが今のキヌの課題です。

景気が悪いと洗脳されやすいから、惑わされないように意識、知識、情報をちゃんと持つことが大切ですね。

社会的地位の高いものは、自分と自分の属する組織の利益を何より優先する。それが国民の不利益につながっても。

貧乏なんて褒められる話でもなかろう。褒められるようになったら危ない。命を安く買われるようになるかもしれない。お金持ちや有識者は、自分や身内の命は大切に高く評価していた。大事に育てたものだから。 

貧しい時代はお金や物が大事。命は軽んじられた。

人の替えはいくらでもあった。いくらでも手に入るものは軽んじられる。

教養のある心豊かな人は、職業の如何にかかわらず、人の命を大切に、生活を考えた。生活をないがしろにする人はいない。 

(昔は)社会の箍は強かった。しかし互いに見張り合いだったように思える。